古王国時代の美術
古代エジプトの第3~6王朝は古王国時代にあたります。初期王朝時代(第1~2王朝)に確立した王権が、第4王朝の時にピークを迎えますが、第5王朝以降は王や王族以外の権力者が台頭し、相対的に王権は弱体化していきました。こうした王権観の推移をピラミッドや彫像の表現から読み取るのが、古王国時代の美術を見るポイントです。
建築(ピラミッド)
ジェセル王のピラミッド
初期王朝時代には台形状の上部構造を持つ墓「マスタバ」が建てられていましたが、高さのある「ピラミッド」構造の墓は、サッカーラにあるジェセル王のピラミッドが最初です。当初はマスタバが構想されていましたが、宰相イムへテプの提言で階段状の設計に変更されました。このピラミッドの建設は、さまざまな分野の職人を集めた一大プロジェクトでした。初期王朝に工芸品製作で培われた技術を計画的に統合し、新しい生産体制を実現したのです。
ジェセル王のピラミッドはそれまでの王墓に比べても規模が大きく、第4王朝まで続くピラミッドの大型化に先鞭をつけました。また日干し煉瓦に代わって石材を使用した「世界最古の石造建造物」でもあります。
前時代の王墓がナイル川に沿って築かれたのに対して、ジェセル王のピラミッドは明確に東西南北の方位軸を基に造られています。古代エジプトの農耕社会では、太陽の動きから洪水等の自然現象を予言していました。方位の概念は太陽を観測する中で生まれた概念と言えます。王も自らを太陽神と名乗るなど、太陽信仰は王権の形成と結びついていました。
マイドゥームのピラミッド
ピラミッドの三角形(正確には四角錐)になったのは、マイドゥームのものが最初と言われています。もとは四角錐として建築されましたが、外側の石組みが崩れて、現在は塔のような姿になっています。
マイドゥームのピラミッドはエポック・メイキングな構成をしています。ジェセル王のピラミッドが周壁内部にピラミッド、葬祭殿、シルダーブ(死者の彫像を安置する部屋)を置くプランなのに対して、マイドゥームのピラミッドは河岸神殿、参道、葬祭殿、ピラミッドが東から西に置かれています。有軸的なまとまりのある単純な構成ですが、ピラミッドという石塊の存在感が強調されています。このような配置は「ピラミッド・コンプレックス」と呼ばれるもので、後世の主流となりました。
マイドゥームのピラミッドでは、ジェセル王のピラミッドにある絵画・工芸的な装飾はあまり見られません。巨大なピラミッドの求心力を表すために、その他の装飾は控えめする必要がありました。高度な石材加工が求められることはなくなりましたが、ピラミッドの大型化にともなって石積み労働の負担は増えました。こうした事情から、熟練工作者に代わって多数の未熟練労働者(農民)が動員されるようになりました。
屈折ピラミッドと赤ピラミッド
ダハシュールにある屈折ピラミッドと赤ピラミッドは、それまでにないユニークな形態をしています(図版6、図版7)。どちらも第4王朝のスネフェル王の時代に造られたもので、屈折ピラミッドは上部はゆるやか、下部は急な角度になっています。赤ピラミッドは、表面を覆っていた石灰岩がはがれて赤みを帯びた石材が露出していることから、こう呼ばれています。ピラミッドは粗く整形した石で内部を埋め、表層だけ化粧石を隙間なく積んで平滑に仕上げていました(図版8)。内部の石は主に石灰岩が使われていましたが、玄室やその周辺は花崗岩が用いられることもありました。
アル=ギーザの三大ピラミッド
第4王朝のクフ王、カフラー王、メンカウラー王の時代にピラミッド造営はピークを迎えます。「王は神である」とする神王理念がその大きさに表れています。3体のピラミッドが置かれたアル=ギーザは、綿密な都市計画のもとに整備されたネクロポリス(死者の町)でした。
各施設の配置を見ると、河岸神殿、参道、葬祭殿、ピラミッドが並ぶ伝統的な構成を踏襲していることがわかります。周囲には王妃を葬る小型ピラミッドや重臣たちのマスタバが建てられました。クフ王のピラミッドの南には、昇天した王が太陽神ラーになって天空を航海するという「太陽の船」が埋められていました。カフラー王の河岸神殿の北側に置かれた「スフィンクス」は、太陽神の一種とされています。
三大ピラミッドで一番大きいのがクフ王のピラミッドです。このピラミッドは260万個もの石を使用して造られています。内部構造もかなり複雑で、「王の間」「王妃の間」「地下の間」という3つの大部屋を持ち、分岐する通路や大回廊も設計されました。
クフ王、カフラー王、メンカウラー王の時代は確かにピラミッドの最盛期でしたが、ピラミッドの巨大化・複雑化に逆行する現象もありました。メンカウラー王の後継者であるシェプセスカーフ王は、サッカーラにマスタバ状の王墓を築いています。この「マスタバ・ファラウン」は、内部構造こそメンカウラー王のピラミッドを継承していますが、ピラミッドよりも格段に建築コストをおさえた造りになっています。王の息子プタハシェプセスがプタハの高級神官であったことから、初期王朝時代のプタハ信仰への回帰を意図して建てられたという説がありますが、いずれにせよ保守的な揺り戻しがあったという事実はおさえてましょう。
第5王朝時代以降のピラミッド
第5王朝時代以降のピラミッドは、規模も部屋数も減り、石材の組積方法も簡略化が進みました。その背景には、太陽神官団の勢力拡大と王権の弱体化があります。王の称号は「太陽神」から「太陽神の息子」となり、絶対的な存在から権力者の一人という扱いに変わりました。
王墓と葬祭施設ーかつてピラミッドが集約していた2つの機能は、この時代に分化してしまいます。王墓としてのピラミッドは弱体化する一方で、神官団が儀式を執り行う葬祭殿の規模や部屋数、装飾が充実しました。アブー・グラーブの太陽神殿のように、ピラミッドに代わってオベリスクを冠する施設も造られました。
太陽神官団に加えて貴族も力を持つようになり、地方に大型のマスタバを建てることも珍しくありませんでした。政治権力が分散する中で、第5王朝最後の王ウニスは、自身のピラミッドに神々への讃歌と王の再生復活を祈る呪文を刻みました。この「ピラミッド・テキスト」はヒエログリフに彩色を施す形で表現され、玄室・前室内の壁一面に描かれました。しかし王権の揺らぎはピラミッド建設に疑義を生じさせ、それまでのように趣向を凝らしたものは造れなくなります。第6王朝時代にもなると古式を最低限踏襲するだけの王墓となりました。
彫像
古代エジプトにおいて彫像は、死者のカー(霊魂)が宿るものと考えられていました。死後も捧げられた供物を受け取ることができるよう、彫像は生前の姿に似せて作られ、表面には彩色が施されました。死者の像が置かれたシルダーブという密室は、外から見えないような作りになっています。このことから彫像は純粋に葬送目的で作られたもので、鑑賞して楽しむものではなかったことがわかります。
王像
王朝が始まって以来、王はホルス神の化身と理解されて来ました。神王を表現した最も古い像は、第3王朝のジェセル王のものです(図版15)。鼻は欠けてしまっているものの、等身大の座像は王の威容をよく伝えています。ジェセル王は先の尖った頭巾「メネス」をかぶっており、その下には大型のかつらが見えています。
カフラー王の座像は王権の絶頂期に作られた逸品です。堂々とした顔つきや体躯は神王の存在に説得力を与えています。玉座の脚は雌ライオンの脚として表されています。玉座の側面はパピルス(=下エジプト)とロータス(=上エジプト)を合わせた「セマ・タウイ」という図像で、上下エジプトの統一を意味しています。頭部背面にはホルス神を象徴するハヤブサが描かれています。
メンカウラー王の河岸神殿からは、王が王妃や神を従えた、それまでにないタイプの像が出土しています。図版17はメンカウラー王と王妃カメレルネブティの夫婦像です。王は王妃の両手に支えられ、孤高の存在ではなく人間味のある姿で描かれています。図版18のように王がハトホル女神とノモスの地方神を従えた三体像も見つかっており、王像表現の多様化が進んでいたことがわかります。
第5王朝の王像としてはウセルカーフ王の頭部像を見ておきましょう。神性は感じられないものの、王国の支配者である自信に満ちた表情をしています。第6王朝は小型の作品が中心となり、王の力強さの表現は大きく後退しました。
私人像
王像のほか、力のある王族や神官、貴族などをモデルとした「私人像」という分野もあります。先述したように、古王国時代になると王以外の者もマスタバを建設するようになりました。そこに安置する目的で、被葬者は自身の似姿となる像を作らせたのです。
図版21はスネフェル王の子ラーへテプと彼の妻ネフェルトの像です。第5王朝時代から多くの夫婦像が製作されましたが、そこで妻は従属的でなく平等に扱われています。男性を褐色、女性をクリーム色で塗り分ける形式は、古代エジプト美術の規範的な表現です。
第5王朝以降は王権の弱体化に伴い、私人像の表現が広がりました。図版22のラーネフェルの立像は、筋肉質でよく引き締まった理想的な肉体をしています。。「王家の職人たちの責任者」の称号を持つラーネフェルは、メンフィスの地でプタハ神の高級神官を務めた人物です。メンフィスは職人や工人たちが集まる芸術センターであり、その守護神であるプタハ神は熱心に信仰されました。メンフィスで最も格が高いのが王家の工房であり、そこを監督するラーネフェルは特別なエリートだったのです。
図版23は「朗唱神官長」の称号を持つカーアペルの立像です。いちじくの木を加工した写実的な像で、堂々とした体躯や両目を大きく開いた表情にカーアペルの個性を感じます。生前の姿を忠実に再現する慣習は、彫像に故人の霊魂が返るという信仰に由来しています。来世の依代となるものは精巧に作る必要があったのです。
第5王朝時代によく作られた書記座像は、官僚社会におけるエリートを表しています。古代エジプト社会では、そもそもヒエログリフを読み書きできる者は限られており、文字の読み書きを職業とする書記はエリート中のエリートでした。こうした事情から、自らの肖像を書記の姿で描かせる流行が生まれます。自己をエリートとして誇示することができる書記座像は、第5王朝時代に隆盛を極めました。手に葦製のペンを握り、組んだ足の上に巻物を置いた姿は、三角形の安定した構図になっています。どっしりと構えたポーズは、揺るぎない権力を象徴しているかのようです。
権力者の墓からは、本人の像だけでなく召使いの像も多数見つかっています。あの世で主人に奉仕するために作られ、主人の墓に副葬されたものです。粉ひき(図版25)、ビール造り(図版26)、土器作りなど、さまざまな作業に勤しむ様子が描かれています。
浮彫り
浮彫りは平面上に立体を描く技法です。絵画の題材を彫刻の技術で描くと言ってもよいでしょう。丸彫りが360度から立体を表現できるのに対して、浮彫りはそうもいきません。平面を加工するという都合上、奥行きを表現するのが難しいため、陰影を効果的に利用する必要があります。
古王国時代には、カノン(方眼)を利用した壁面装飾の方法が確立し、出来上がった浮彫りには基本的に彩色が施されました。古王国時代を代表する浮彫りが「へシラーのパネル」です。第3王朝初期の高官へシラーの肖像、称号、名前が刻まれたもので、へシラーの右手には権力の象徴とされる笏「ケレプ」が握られています。
第5王朝時代の浮彫りは、葬祭殿や河岸神殿、マスタバ墳の礼拝室に、葬祭儀礼に必要な図像群として描かれました。農耕や狩猟に勤しむ人々や、工房で働く職人の様子など、日常生活の諸相がモチーフとなりました。様々な情景を墓の内部に彫り残すことで、被葬者とその家族への恵みを祈ったとされています。
図版28では麦の束を積み上げたり、袋詰めにした収穫物をロバの背に乗せて運ぶ場面が描かれています。図版29は上段がぶどうを踏みつけて酒を作っているシーン、中段が猟犬に草食動物を襲わせている狩りのシーンです。金細工工房を描いた図版30を見ると、てんびんで材料を計量する、炉に息を吹き込んで鉱石を溶かすなどの工程を読み取ることができます。
貴重な水源であり、動植物が繁殖するナイル川は、古代エジプト人の生活と密接に結びついていました。図版31はナイル河畔の光景を描いた浮彫りです。舟を漕ぐ男衆の周りに数多くの野鳥がいますが、どれも種を特定できるほど特徴をとらえて描かれています。またこの時代のナイル川は現在よりも湿潤であり、ワニや河馬などの大型水棲動物が生息していました。縦に走る無数の線はパピルスを表しています。パピルスは紙の原料となったほか、編み上げて家屋や舟を作ることもありました。
図版32もパピルスが生い茂る様を伝えています。舟の後方に立つ大きな人物は被葬者のティです。古代エジプトでは、重要な人物は大きく描く慣習がありました。また波は縦のジグザグ文様で表現しました。河馬や魚が群れる水中は波線の領域として描かれています。
図版33の上段はナイル川に飛来した鴨を一網打尽にするシーンが描かれています。男たちは上体を倒して力いっぱい網を引いています。下段は水上での戦闘を活写しています。ナイル川では漁業や野鳥狩り、水資源の利権を巡って争いが起こることもありました。そうした主題を扱う浮彫りは多く、その作品もその一つです。
絵画
どちらも平面に図像を描く技法でありながら、絵画は浮彫りほど多くはありません。その背景には図像を末長く残したいというニーズがあります。墓に描かれる図像は被葬者への供物であり、葬祭儀礼の一環をなすものです。図像がなくなれば、供物が断たれ、被葬者を供養するための儀式が継続できなくなります。そのため原則は耐久性の高い浮彫りを採用し、壁面が何らかの理由で漆喰仕上げになるなど、石材ブロックを使えない時に限り絵画が製作されました。
古王国時代の絵画作品は、数こそ少ないものの高い水準にあります。図版34は「マイドゥームの雁」と呼ばれる壁画です。私人のマスタバ墳に残されていたもので、泥漆喰の上に仕上げ漆喰を塗った壁を支持体としています。シンメトリーの構図は安定感があり、雁は細部まで丁寧に表現されています。しかし写実に傾いている感じでもなく、どこか装飾的です。本体壁画は葬祭に関わる施設の一部として、その空間において機能するものですが、「マイドゥームの雁」は周囲から独立した完成度を誇っています。
作品データ
- ジェセル王の階段ピラミッド 古王国 第3王朝 前2650年頃 石灰岩 高さ62m サッカーラ
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.63
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.63
- ピラミッド中心部の壁体構造 古王国 第3または第4王朝 前2600年頃 高さ92m マイドゥーム
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.434
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.433
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.433
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.434
- 三大ピラミッド 古王国 第4王朝 前2550~2500年頃 アル=ギーザ
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.432
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.433
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.69
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.70
- ウニス王のピラミッド内玄室とピラミッド 古王国 第5王朝 前2350年頃 サッカーラ
- ジェセル王座像(部分) 古王国 第3王朝 前2650年頃 サッカーラ, ジェセル王の階段ピラミッド葬祭殿北側シルダーブ出土 石灰岩 彩色 高さ142cm カイロ, エジプト博物館
- カフラー王座像 古王国 第4王朝 前2550年頃 アル=ギーザ カフラー王の河岸神殿出土 閃緑岩 高さ168cm カイロ, エジプト博物館
- メンカウラー王とカメレルネブティ王妃立像 古王国 第4王朝 前2500年頃 アル=ギーザ, メンカウラー王の河岸神殿出土 粘板岩 彩色 高さ140cm ボストン美術館
- メンカウラー王と二女神立像 古王国 第4王朝 前2500年頃 アル=ギーザ, メンカウラー王の河岸神殿出土 片岩 高さ92.5cm カイロ, エジプト博物館
- ウセルカーフ王像頭部 古王国 第5王朝 前2450年頃 サッカーラ, ウセルカーフ王のピラミッド葬祭殿出土 赤色花崗岩 高さ75.0cm パリ, ルーヴル美術館
- ウセルカーフ王像頭部 古王国 第5王朝 前2450年頃 アブー・シール, ウセルカーフ王の太陽神殿出土 片岩 高さ45.0cm カイロ, エジプト博物館
- ラーヘテプ王子と妻ネフェルト座像 古王国 第4王朝 前2600年頃 マイドゥーム, ラーヘテプ王子の墓出土 石灰岩 彩色 高さ(左)121cm カイロ, エジプト博物館
- 鬘をつけたラーネフェル立像 古王国 愛5王朝 前2475年頃 サッカーラ, ラーネフェルの墓出土 石灰岩 彩色 高さ178cm カイロ, エジプト博物館
- カーアペル立像(通称「村長像」) 古王国 愛5王朝 前2475年頃 サッカーラ, カーアペルの墓出土 無花果の木 彩色 高さ112cm カイロ, エジプト博物館
- 書記座像(通称「ルーヴルの書記」) 古王国 愛5王朝 前2450年頃 サッカーラ, セケムカーの墓出土 石灰岩 彩色 高さ53.0cm パリ, ルーヴル美術館
- 粉を挽く女 古王国 第6王朝 前2300年頃 サッカーラ, アンクテフの墓出土 石灰岩 彩色 高さ32.0cm カイロ, エジプト博物館
- ビールを造る女 古王国 第5王朝 前2350年頃 アル=ギーザ, メルスアンクの墓出土 石灰岩 彩色 高さ28.0cm カイロ, エジプト博物館
- へシラーのパネル(部分) 古王国 第3王朝 前2650年頃 サッカーラ, へシラーの墓出土 木 浮彫り 高さ114cm カイロ, エジプト博物館
- ティの墓浮彫り, 穀物の収穫 古王国 第5王朝 前2350年頃 石灰岩 彩色 サッカーラ
- アケトヘテプとプタハヘテプ2世の墓浮彫り, 葡萄酒造りと砂漠での狩猟 古王国 第5王朝 前2400年頃 石灰岩 彩色 サッカーラ
- メレルウカーの墓浮彫り, 金細工工房 古王国 第6王朝 前2300年頃 石灰岩 彩色 サッカーラ
- メレルウカーの墓浮彫り, ナイル河畔の光景 古王国 第6王朝 前2300年頃 石灰岩 彩色 サッカーラ
- ティの墓浮彫り, 河馬狩り 古王国 第5王朝 前2350年頃 石灰岩 彩色 サッカーラ
- アケトヘテプとプタハヘテプ2世の墓浮彫り, 水鳥狩りと水上の戦闘 古王国 第5王朝 前2400年頃 石灰岩 彩色 サッカーラ
- マイドゥームの雁 古王国 第4王朝 前2600年頃 マイドゥーム, ネフェルマアトとイテトの墓出土 漆喰 彩色 27.0×172cm カイロ, エジプト博物館
参考文献
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994






























