新王国時代前期の美術
新王国時代の文化は古代エジプト史上最も華やかとされています。国家事業として建てられた王墓や神殿、葬祭殿などは、古王国時代のピラミッドに匹敵するほどの規模がありました。大型建造物の造営は新たな図像を制作する機会であり、職人が熟練の技術を発揮する場となりました。またオシリス信仰がより浸透し、さまざまな地位の人々が永遠の生を願って私人墓を造りました。私人墓の内部装飾も美術の発展をもたらした要因と言えます。
中王国時代の終焉でエジプト国内は再び混乱期に陥ります(第2中間期)。その隙に乗じてシリア・パレスチナからヒクソスという異民族が侵入し、下エジプトを占拠したのちエジプト史上初の異民族王朝を築きました。このヒクソスをエジプトから放逐したのがイアフメス王です。イアフメス王がテーベに第18王朝を開いたことで、新王国時代が始まりました。
第18王朝初期は周辺地域への領土拡大に努めました。軍事遠征を積極的に行い、トトメス3世の頃に最大版図を迎えます。政治的・文化的絶頂期に達したのがアメンへテプ3世の治世です。次代のアメンへテプ4世は太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行し、自ら「アクエンアテン」を名乗りました。この時期に作られた「アマールナ美術」には、伝統的様式によらない明らかに異質な表現が見られます。以下、分野ごとに新王国時代の美術を見ていきますが、アマールナ美術については別章を設けてまとめて紹介します。
建築
新王国時代の建築でまず大事なのがハトシェプスト女王の葬祭殿です。ハトシェプスト女王は正式な王ではないのですが、幼年で即位したトトメス3世に代わって政治の実権を握り、対外的にも王を名乗りました。アル=クルン山の麓、ディール・アル=バハリーの断崖に築かれたこの葬祭殿は、テラスがスロープでつながれ、テラスの正面に列柱を持つ特徴的な構成をしています。隣のメンチュへテプ2世の葬祭殿を発展させる形で造られたものと考えられています。
トトメス3世の代から神殿・葬祭殿の建築様式に変化がありました。王墓(ピラミッド)と葬祭殿が分離し、葬祭殿が独立した建物となったのです。また王を神として祀るという役割において、神殿と葬祭殿は同化していきました。
一方王墓は遠くの谷奥に造られましたが、これには盗賊の略奪から王のミイラを守り、王の来世の平穏無事を祈念する意図がありました。テーベ西岸の「王家の谷」に王族の岩窟墓を築かれ、入り口は入念に隠されました。長い通廊の奥に列柱の建てられた部屋があり、さらに進むと石棺が置かれた部屋に辿り着くという構造で、壁画や浮彫りの内部装飾が施されました。
新王国時代の首都テーベは、ナイル川をはさんで東岸に「生者の町」、西岸に「死者の町」が置かれていました。日が昇ると方角と日の沈む方角で都市の機能が分かれているだけでなく、生者の町と死者の町が軸方向で連結する都市空間となっています。東岸から西岸にかけてアメン大神殿 → ハトシェプスト女王の葬祭殿 → 王家の谷とほぼ直線上に位置しているのを確認してみてください。ナイル川に正対する東西軸に対して、カルナク神殿とルクソール神殿はスフィンクス街道によって結ばれ、ナイル川に平行した南北軸を形成しています。毎年開かれた「オペトの祝祭」は、アメン神が王や神官を伴ってカルナク神殿とルクソール神殿を行き来する行事で、2つの連結した空間が神の御幸を演出していました。
新王国時代に造られた大規模な神殿や葬祭殿は、周辺に様々な付属施設を併せ持ち、それらが外周壁に囲まれて小都市を成していました(図版5)。神殿・葬祭殿本体は、塔門 → 列柱に囲まれた中庭 → 列柱室 → 至聖所および葬儀用品の収納室群へと至る形式になっています(図版6)。また奥になるほど天井は低く、床面は高く、室内に入り込む光は少なくなっています。狭く暗い空間が神秘的な雰囲気を高めていると言えるでしょう。
なお、宗教建築には石材が用いられましたが、住宅は日乾煉瓦で造っていました。それは王や上流階層であっても例外ではありませんでした。ディール・アル=マディーナには王家の谷の開発に従事した労働者の集合住居が残されています。
彫像
第18王朝初期は領土拡大のため周辺地域への軍事遠征がたびたび行われていました。王は自ら兵を率いて勇敢に戦う存在であり、良き神として君臨していました。そのため、新王国時代前期の王像は理想化された姿で表現されています。
図版9のトトメス3世像は、均整のとれた美しい肉体と端正な顔立ちをしています。王の正装としてネメス頭巾と腰布シェンジュウトを身につけた姿で描かれ、頭巾の額部分には聖蛇ウラエウスが取り付けられています。腰のベルトには王の即位名「メン・ケペル・ラー」を意味するカルトゥーシュが刻まれています。
図版10のハトシェプスト女王像は、小さな口元に整った顔立ちと美化された姿をしています。対外的な威信を保つため、女王像はしばしば男性的な体つきで表現されました。(図版11)。さらにハトシェプスト女王とトトメス3世の像は似通った面貌で描かれたのも事実で、女王であることを示す銘文がないと見分けがつかないほどです(図版12、図版13)。理想化された造形はどうしても似通ってしまうものですが、中王国時代後半に個性的をとらえた王像が作られていたことを鑑みると隔世の感があります。
アメンへテプ3世の王像は数も多くタイプも様々です。図版14は王の葬祭殿の塔門前に置かれている「メムノンの巨像」です。治世の晩年には個性的な容貌の王像も復活しました(図版15)。目尻が吊り上がったアーモンド形の眼にそれがよく表れています。上下エジプトの複合王冠によってエジプト全土を統べる者であることを誇示しています。よく見ると王はそりに乗っています。これは亡くなった王がアメン神を伴って出現している様を描いたもので、王を神聖化した表現と理解できます。
ハトホル女神座像(図版16)とイウニト女神座像(図版17)は、神秘的な微笑を湛えた柔和な顔つきで表されています。ルクソール神殿内で偶然発見されましたが、保存状態が良く、新王国時代に製作されたままの姿をとどめています。
図版18はアメンへテプ3世の王妃ティイの母、チュウヤのマスクです。ティイの父イウヤともに王家の谷の墓から出土しました。イウヤとチュウヤは正妻の両親であるため墓を与えられましたが、王家の谷に埋葬される特権を持つのは王と王族に限られていました。亜麻布と石膏(プラスター)を交互に重ねることによりデスマスクを作る「カルトナージュ」の技法は、第1中間期から中王国時代にかけて発明されたと言われています。しかし外側を金で覆う豪華な意匠はこの当時として珍しく、純金を鍛造して作るマスクの端緒を開きました。眉毛と目の周囲にはラピスラズリ、目には青ガラスと水晶、幅広の襟飾りにはラピスラズリ、紅玉髄、ガラスが象嵌されています。
浮彫り
図版19はハトシェプスト女王の葬祭殿の浮彫り装飾で、女王の治世第9年に実施されたプント遠征を記録しています。プントに到着したエジプトの遠征隊をプントの首長パルフとその妻アティが迎えている場面です。プントから香木、象牙、マラカイト、金、黒檀といった品々を受け取り、その見返りに短剣、斧、装身具などを贈りました。軍隊の行進(図版20)のような群像表現においても、画面が単調にならないよう工夫を凝らしています。戦闘斧、翳、樹木の小枝、アメン神の聖船を象った軍旗と、兵士の持ち物には違いがあり、幾人か振り返ったポーズをしています。列の後方のものをより手前に重ねて描くのは、古代エジプトの伝統的な表現形式です。
アメンへテプ3世の治世も末期になると、テーベ西岸の大型私人墓群の墓室壁面に繊細で高度な浮彫りが施されるようになりました。宴会や農作業など伝統的な題材のほか、王と王妃ティイの姿を描くこともありました。図版21はラーメスの墓で見つかった壁画です。ラーメスはアメンへテプ3世からアメンへテプ4世時代の宰相で、テーベ市長でもありました。ラーメスは左手に杖、右手に笏を持ち、左足を前に踏み出した姿で描かれています。よく見ると足元に台座があることから、これはラーメス本人ではなく、ラーメスを模した立像であることがわかります。さらに両脇の男たちが壺に入った水をかけていることから、これが清めの儀式の場面だと読み取ることができます。高浮彫りで刻まれたヒエログリフも技術水準の高さを物語っています。同じくラーメスの墓に描かれたマイ夫妻の浮彫り(図版22)も、かつらや襟飾りなどの細部に至るまで精緻な処理が施されています。
絵画
王墓の壁画
王墓の空間は神々が住む宇宙として表現されました。壁に描かれた絵は、神王として来世で必要な宗教関係の文書や図像であり、「冥界の書」と呼ばれています。
トトメス3世の墓には、冥界の書の一種「アム・ドゥアトの書」に登場する神々を描き出した壁画があります。アム・ドゥアトの書によれば、夕方西に沈んだ太陽が、夜の12時間を冥界の魔物と戦いながら航行し、翌日朝日として復活すると言います。図像を限りなく単純化し、迷いのない簡潔な線で表わしています。当時の画工の優れた造形感覚をうかがうことができる作品です。
アメンヘテプ2世の墓でも洗練された線画を見ることができます。柱には神々と対峙する王の姿があります。天井の全面を星が覆い、壁面上部には植物の穂先を束ねた形の「ケケル・フリーズ」や、画面を取り囲む「ブロック・ボーダー」も丁寧に描かれています。
私人墓の壁画
古王国時代以来、私人墓の壁画に描かれてきたのは日常的な主題でした。墓主に捧げられた供物、宴会、収穫、狩猟、パン・ビール作りといった情景が何度も繰り返されてきたのです。それのみならず、中王国時代を経て、墓主の生前の業績や嗜好など記念碑的なモチーフも好まれるようになりました。
レクミラの墓には工房の様子をとらえた壁画があり、当時の道具類や作業方法を知る史料となっています。図版25の上段は鋳物製作の場面であり、足踏み式の「ふいご」で炉に空気を送る人物が見られます。このようにして金属の融点まで火力を上げていたのです。下段は日干煉瓦を作っている様子です。水を混ぜた土を型枠に入れて成形し、ぞれらを並べて天日干しにしています。図版26は外国人の朝貢がテーマで、珍しい動物としてキリンが連れて来られています。左の牛の群れは重なり合う図像になっていますが、明るい色と暗い色を交互に配することで差別化を図っています。同様の描き方はチャヌウニの墓壁画にある牛や馬の列に見られます(図版27)。このように同色を避けてそれぞれの図像を際立たせる手法を「対置法」と言います。
ナクトの墓は色彩の保存状態が良いことで知られています。宴会の場面を活写した図版28は、写実的な人体描写と伝統的な堅い表現が入り混じっています。下段の男性たちは古式ゆかしく描かれているのに対して、上段右端のハープ弾きの目は一本線で描かれ、盲目が示唆されています。腹や首のしわのできる肉付きのよい体をしており、足の裏をこちらに見せた座り方をしています。このような表現はそれまでの壁画になかったものです。旧習によらない自然な人物像は図版29にも見られます。ハープ、リュート、竪笛を扱う女楽師の繊細な手つきがよく表れています。
ネブアメンとイプキという二人の夫に先立たれたヌトネフェルトは、彼らを供養する墓を建てました。墓主の両親や宗教的な主題が描かれた壁画には、未亡人ヌトネフェルトの想いが込められています。オシリス神とホルス神の息子たちを表した図版30を見ておきましょう。オシリス神は冥界の支配者であり、永遠の生命の象徴でもありました。緑色の肌に、王権を象徴するヘカ(杖)、ネケク(殻竿)、ウアス(杖)、加えて生命の象徴アンクをたずさえた姿で表現されます。オシリス神の後ろにいるのがホルス神の息子たちです。彼らの死者の内臓の守護神であり、人の頭を持つイムセティ、ヒヒあるいは犬の頭を持つハピ、ハヤブサの頭を持つケベフセヌエフ、山犬の頭を持つドゥアムトエフが4人1組で描かれました。
図版31もネブアメンとイプキの墓壁画の一場面で、故人の棺(ミイラ)を聖水で清める儀式を写しています。当時の葬式についての詳しい文書は残されておらず、もっぱら壁画からその様子が推測されてきました。左端の神官が容器から2つの棺に向かって描かれた青色の波線が聖水です。この「清めの儀式」によって死者が来世で復活すると考えられていました。ミイラの前にひざまずく女性はどちらもヌトネフェルトです。右の若い姿は最初の夫を亡くした時、左の年を重ねた姿は2番目の夫を亡くした時と解釈されています。同一場面に時期の異なる2つの出来事を描き込んだ珍しい作例です。
工芸
新王国時代の工芸品は重厚感・質量感を特徴としています。伝統的な工芸品に新たな素材や技術を取り入れた結果、バリエーションが豊かになりました。工芸品の発達の背景には、強大化した王家の権力、エジプト周辺地域からもたらされる豊富な原材料、長い伝統に基づく技術の蓄積がありました。
ガラス工芸は第18王朝のトトメス3世の代から本格化しましたが、第20王朝末以降は急速に衰退したと見られています。ガラス製品を手に入れることができるのはもっぱら王家の人間に限られていました。作られたのは現在も使われているソーダ・ガラスです。ただし不純物を含むためほとんど不透明となります。古代エジプト人はガラスを「人工の石」と考えていたようで、さまざまに着色して使用していました。化粧品や香油を入れるための小型の容器のほか、クラテリスコス(図版32)やアンフォリスコス(図版33)、魚の形をした変形の容器(図版34)も作られました。魚形容器は波状の文様によって魚の鱗が表現されています。他にもビーズや象嵌部品など、ガラスの用途はさまざまでした。
コバルトの青、アンチモンの黄色 、錫の白など、新たな着色材の発見は工芸品の彩色に変化をもたらしました。とくにかねてから盛んだったファイアンス製品への影響が顕著です。アメンヘテプ3世の銘を刻んだファイアンス製の壺は、黄色のベースにしつつ、青・赤・白で絵つけが施されています。発色が美しく、アメンヘテプ3世の治世下でも屈指の傑作に数えられます。
立体の人物像を組み込んだデザインはこの時代特有のものです。図版36の化粧さじは裸の女性が水鳥の後を泳ぐ姿を模しています。
新王国時代の装身具は、耳飾りなど新しいタイプも作られましたが、おおむね中王国時代の伝統を踏襲しています。中王国時代のデザインと配色にみられた繊細で微妙なバランスは失われたものの、各モチーフが意味内容を主張し合う重厚で質量感のあるスタイルへと変化しました。
アルマーナ美術
アメンへテプ4世(アクエンアテン)は、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行した王です。カルナクのアメン神官団に対抗する父王の政策を拡大し、彫像や浮彫りからアメン神の名を削除するなど徹底的な弾圧を行ったとされています。アメンヘテプ4世は後年、アメン信仰の地テーベから離れてテル・アル=アマールナ(古代名アケトアテン)に遷都しています。
アメンへテプ4世の治世下に作られた「アマールナ美術」は、古代エジプト美術の特異点と言っても過言ではありません。型にはまらない新しい表現は他の時代の美術とは明らかに異質なものです。人物像は大きく張り出した後頭部と膨らんだ腹部を持ち、鳥や植物などは写実的に描かれました。
アメンへテプ4世は自身を美化・理想化するのではなく、ありのままの姿を写し取らせました。正直に言って、絵画や彫像の中の王は整っているとは言い難い容貌をしています。しかし自らの醜さをさらけ出してまでリアリズムに徹するからこそ、表現上の大転換を成し遂げることができたのです。
図版39のネフェルトイティ王妃像は、アマールナ時代を代表する彫刻作品にして、王妃の容貌を伝える数少ない史料です。古代エジプト彫刻においてこのような胸像はきわめて稀ですが、左眼だけ象嵌されていないことから、彫刻家の習作だったと考えられています。確かなリアリティを持つ顔立ちと、額にウラエウスがついた独特な冠が印象深い作品です。
ネフェルトイティ王妃像の国外持ち出し
アマールナ美術の至宝であるネフェルトイティ王妃像は、現在ベルリンの国立エジプト博物館に収められています。ドイツの考古学者ボルヒアルトがこの像を発見したのは1912年のことでした。当時すでに古代エジプトの遺物を国外に持ち出すことは厳しく制限されていましたが、書類には単に「石灰岩製の王妃の頭部」とだけ記されていたために、監視の目から漏れたのです。ドイツ調査隊によるこの不当な搬出を、エジプト政府は今日でも糾弾しています。
頭部などが欠損していますが、図版40もネフェルトイティ王妃像と解釈されています。やや誇張された下半身表現はアマールナ美術の特徴です。身体に張り付く薄布のドレープが豊満な身体を際立たせています。
ここまで立体表現を見てきましたが、浮彫りや絵画といった平面表現においてもユニークな描写が目立ちます。アマールナ時代にはアメンヘテプ4世とネフェルトイティ王妃の姿を描いた作品が数多く作られましたが、図版41の浮彫りもその一つです。向かい合った王と王妃はくつろいだ姿をしています。左足を後ろへ曲げた王のポーズは、過去のエジプト美術にはなかったものです。こうした姿勢やヒラヒラと風になびく衣装によって、従来の堅苦しい表現から解放され、全体としてリラックス感のある雰囲気に仕がっています。このほか、側面観であっても足の指を描き込むのがアマールナ美術らしいポイントです。
別の浮彫り作品では、太陽球で表現されたアテン神から光線が延び、下に立つアメンへテプ4世と王妃ネフェルトイティに祝福を与えています(図版42)。光線の先端は手の形になっており、生命を象徴するアンクや権力を象徴するウアスを王の眼前に差し出しています。左側にいる家来の中に腰を曲げている者がいますが、これもアマールナ美術に特徴的な表現です。他にも浮彫りの作例をいくつか載せておくので、アマールナ美術の傾向をつかみとってください。
絵画としてはテル・アル=アマールナの王宮に残された舗床画を見ておこうと思います。沼地や池を主題とする絵の一部で、パピルスの茂みとその周りを歩く鴨が描かれています。この手の絵は私人墓にも類例がありますが、アマールナ美術には形式にとらわれない自然な筆遣いが見られます。力強く勢いのある筆致でありながら、動植物は写実をおさえた描き方をしています。
アメンヘテプ4世の改革は一代限りで終わり、次代のトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王がアメン信仰に回帰すると、テーベにおけるアテン信仰の痕跡はほとんど破壊・解体されました。しかし奇跡的に当時の石材が出土したケースもあります。図版48はテル・アル=アマールナへの遷都前、アメンへテプ4世がカルナクのアメン大神殿内部に建てたアテン神殿の一部です。アメン大神殿の第9塔門の下部の詰め石として再利用されていました。膨大な石材から神殿の壁面を再構築する作業は困難を極めますが、第9塔門で発見された石材は1970年代からコンピュータ解析が進められ、一部の壁面の復元に成功しています(アクエンアテン神殿プロジェクト)。
作品データ
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.431
- ハトシェプスト女王の葬祭殿 新王国 第18王朝 前1480年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.432
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.426
- ルクソール神殿, ラメセス2世の中庭と第2塔門 新王国 第19王朝 前1250年頃 テーベ, ルクソール
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.435
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.435
- 「労働者の町」集合住宅址 新王国 第18~19王朝 テーベ, ディール・アル=マディーナ
- トトメス3世立像 新王国 第18王朝 前1450年頃 テーベ, カルナク, アメン大神殿出土 緑色硬砂岩 高さ90.5cm ルクソール神殿
- ハトシェプスト女王座像 新王国 第18王朝 前1480年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー, ハトシェプスト女王の葬祭殿出土 石灰岩 彩色 高さ195cm ニューヨーク, メトロポリタン美術館
- ひざまずくハトシェプスト女王像 新王国 第18王朝 前1480年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー, ハトシェプスト女王の葬祭殿出土 花崗岩 高さ281cm ニューヨーク, メトロポリタン美術館
- ハトシェプスト女王のスフィンクス像 新王国 第18王朝 前1480年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー, ハトシェプスト女王の葬祭殿出土 赤色花崗岩 高さ61.0cm ニューヨーク, メトロポリタン美術館
- トトメス3世座像 新王国 第18王朝 前1450年頃 テーベ出土 黒色花崗岩 高さ192cm イタリア, トリーノ, エジプト博物館
- アメンヘテプ3世座像(通称「メムノンの虚像」) 新王国 第18王朝 前1380年頃 テーベ
- アメンヘテプ3世立像 新王国 第18王朝 前1380年頃 テーベ, ルクソール神殿, 第2中庭(アメンヘテプ3世の中庭)出土 赤色珪岩 高さ249cm ルクソール美術館
- ハトホル女神座像 新王国 第18王朝 前1380年頃 テーベ, ルクソール神殿, 第2中庭(アメンヘテプ3世の中庭)出土 花崗岩 高さ164cm ルクソール美術館
- イウネト女神座像 新王国 第18王朝 前1380年頃 テーベ, ルクソール神殿, 第2中庭(アメンヘテプ3世の中庭)出土 花崗岩 高さ145cm ルクソール美術館
- チュウヤのマスク 新王国 第18王朝 前1380年頃 テーベ, 王家の谷, イウヤとチュウヤの墓出土 カルトナージュ 貴石 ガラス 高さ40.0cm カイロ, エジプト博物館
- ハトシェプスト女王の葬祭殿浮彫り, プントの首長と妻 新王国 第18王朝 前1480年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー, ハトシェプスト女王の葬祭殿出土 石灰岩 彩色 49.3×45.0cm カイロ, エジプト博物館
- ハトシェプスト女王の葬祭殿浮彫り, 軍隊の行進 新王国 第18王朝 前1480年頃 石灰岩 彩色 テーベ, ディール・アル=バハリー
- ラーメスの墓浮彫り, ラーメス 新王国 第18王朝 前1370年頃 石灰岩 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- ラーメスの墓浮彫り, マイ夫妻 新王国 第18王朝 前1370年頃 石灰岩 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- トトメス3世の墓壁画, アム・ドゥアトの書 新王国 第18王朝 前1450年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- アメンヘテプ2世の墓壁画, 玄室 新王国 第18王朝 前1420年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- レクミラの墓壁画, 鋳物職人と煉瓦職人 新王国 第18王朝 前1450年頃 漆喰 彩色 シャイク・アブド・アル=クルナ
- レクミラの墓壁画, キリン 新王国 第18王朝 前1450年頃 漆喰 彩色 シャイク・アブド・アル=クルナ
- チャヌウニの墓壁画, 鋳物職人と煉瓦職人 新王国 第18王朝 前1410年頃 漆喰 彩色 シャイク・アブド・アル=クルナ
- ナクトの墓壁画 新王国 第18王朝 前1410年頃 漆喰 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- ナクトの墓壁画 新王国 第18王朝 前1410年頃 漆喰 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- ネブアメンとイプキの墓壁画, オシリス神とホルス神の息子たち 新王国 第18王朝 前1400年頃 漆喰 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- ネブアメンとイプキの墓壁画, ミイラの埋葬 新王国 第18王朝 前1400年頃 漆喰 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- クラテリスコス形容器 新王国 第18王朝 前1450~1310年頃 (左)サッカーラ出土 色ガラス 高さ9.5cm (右)色ガラス 高さ8.0cm カイロ, エジプト博物館
- アンフォリスコス形容器 新王国 第18王朝 前1450~1310年頃 アクミーム出土 色ガラス 高さ19.0cm パリ, ルーヴル美術館
- 魚形容器 新王国 第18王朝 前1360年頃 テル・アル=アマールナ出土 色ガラス 長さ8.4cm ロンドン, 大英博物館
- アメンヘテプ3世銘壺 新王国 第18王朝 前1380年頃 ファイアンス 彩釉 高さ8.4cm パリ, ルーヴル美術館
- 水鳥と泳ぐ女性形の化粧匙 新王国 第18王朝 前1380年頃 木 象牙 長さ29.3cm パリ, ルーヴル美術館
- イアフヘテプ王妃のブレスレット 新王国 第18王朝 前1565年頃 テーベ, ドゥラ・アブー・アル=ナージャ出土 金 ラピスラズリ 高さ3.4cm カイロ, エジプト博物館
- アメンヘテプ4世(アクエンアテン)立像 新王国 第18王朝 前1365年頃 カルナク出土(?) 石灰岩 高さ396cm カイロ, エジプト博物館
- ネフェルトイティ王妃胸像 新王国 第18王朝 前1360年頃 テル・アル=アマールナ, トトメスの工房址出土 石灰岩 彩色 高さ48.0cm ベルリン 国立エジプト博物館
- 王妃立像 新王国 第18王朝 前1365年頃 赤色珪岩 高さ29.0cm パリ, ルーヴル美術館
- アメンヘテプ4世(アクエンアテン)とネフェルトイティ王妃 新王国 第18王朝 前1360年頃 テル・アル=アマールナ出土 石灰岩 浮彫り 彩色 高さ24.0cm ベルリン, 国立エジプト博物館
- ラーメスの墓浮彫り, アメンヘテプ4世(アクエンアテン)とネフェルトイティ王妃 新王国 第18王朝 前1370年頃 石灰岩 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- アメンヘテプ4世(アクエンアテン)像 新王国 第18王朝 前1365年頃 テル・アル=アマールナ 石灰岩 浮彫り 高さ21.0cm ベルリン, 国立エジプト博物館
- ネフェルトイティ王妃像 新王国 第18王朝 前1365年頃 テル・アル=アマールナ 石灰岩 浮彫り 高さ26.5cm カイロ, エジプト博物館
- 太陽神アテンを礼拝するアメンヘテプ4世と家族像 新王国 第18王朝 前1365年頃 テル・アル=アマールナ アラバスター 浮彫り 高さ102cm カイロ, エジプト博物館
- アメンヘテプ4世と家族像 新王国 第18王朝 前1365年頃 テル・アル=アマールナ 石灰岩 浮彫り 高さ32.5cm ベルリン, 国立エジプト博物館
- 舗床画断片, パピルスと鴨 新王国 第18王朝 前1360年頃 テル・アル=アマールナ 漆喰 彩色 42.5×52.0cm ニューヨーク, メトロポリタン美術館
- アメンヘテプ4世(アクエンアテン)の神殿壁面(部分) 新王国 第18王朝 前1365年頃 テーベ, カルナク, アメン大神殿出土 砂岩 浮彫り 彩色 左右17.7m ルクソール美術館
参考文献
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994











































