新王国時代後期の美術
第19および第20王朝は新王国時代後期にあたり、統治した王の名からラメセス時代と呼ばれることもあります。第18王朝末期、トゥトアンクアメン王の後継者としてアイが即位しますが、その治世は長く続かず、時の将軍ホルエムヘブがアイを退ける形で王となりました。王権と国の復興を目指すホルエムヘブは、アマールナ時代以降に作られたモニュメントを次々に破壊し、アテン信仰や政治的混乱の歴史を抹消しようとしました。ホルエムヘブは血縁者ではなく宰相パラメセスを次代の王に選びました。パラメセスはラメセス1世を名乗り、第19王朝を開きました。
第19王朝時代、エジプトは積極的な国外遠征を行いました。ラメセス2世の治世第5年、シリアのカデシュでヒッタイトのムワタリ王と戦った「カデシュの戦い」はよく知られています。ラメセス2世を表敬したラメセス3世も、デルタに侵入したリビア人や「海の民」を撃退しています。しかしこの頃から労働者のストライキなど内政の混乱が目立ち始めます。ラメセス9世の浮彫り(図版3)において、王と大司祭アメンへテプが同じ大きさで描かれていることから、第20王朝の時点で王権はかなり弱体化していたことがわかります。
神殿・葬祭殿
第19王朝のセティ1世はテーベ西岸とアビュドスに葬祭殿を建造しました。テーベの葬祭殿はもともと地方神に捧げる神殿として設計されました(図版4)。小宮殿が付属していますが、これは王の生活の場ではなく、祭儀を行うときだけ使用されました。他方、アビュドスの葬祭殿は王のために作られた神殿です(図版5)。オシリス神の聖地であるアビュドスでは、古くから諸王による記念建築物が建てられてきました。セティ1世はそれらを統御・集約するような壮大な建築を残そうとしたのです。
王位についていた66年余りの間、ラメセス2世は国内に数多くの記念物を造営し、その壁面に優美な浮彫り装飾を残しました。ラメセス2世の建造物としては、テーベ西岸の葬祭殿「ラメセウム」(図版6)と、ナイル川上流のアブー・シンベルに置かれた大小二つの神殿(図版7、図版8)が重要です。このうちアブー・シンベル大神殿は、ナイル川近くにある砂岩の断崖をくり抜いて造られています(図版7)。正面に高さ20m以上もの王の巨像が置かれたのは、ヌビア地方に対する王の影響力を誇示する意図があったと考えられます。神殿内部は、広庭、テラス、列柱広間、至聖所といった主要な諸室を中心軸上に配置する構成がとられています。
アブー・シンベル神殿の保存活動
1954年、工業化の電力確保のためナイル川上流にアスワーン・ハイダムを建設することが決まりました。これにより、エジプトからスーダンにまたがるナイル川沿いの下ヌビア地域が水没することになり、現地の住民たちは移住を余儀なくされました。また、下ヌビア地域にはアブー・シンベル神殿をはじめとする古代エジプトの重要な遺構が置かれており、それらを救済するため遺跡の移築が行われることになりました。ユネスコの主導のもと、アブー・シンベル神殿は1041個の石塊に解体されて、現在の場所で再び組み立てられました。
「建築王」と称されるラメセス2世ですが、新築だけでなく、既存の記念建築の改修や建て増しも積極的に行いました。その際、もともと刻まれていた王名を削って自分の名を彫り込んだため、ラメセス2世の名が残る遺構はたくさんあります。ラメセス2世の増築事業は、建物全体をよく考慮した上で計画されたとして評価されています。たとえばルクソール神殿は、アメンへテプ3世によって列柱廊、広庭、列柱広間、至聖所などの主要施設が建立されましたが、ラメセス2世は列柱廊の手前に広庭と塔門を増築し、さらにトトメス3世時代の聖船休息所を再建しています。
ラメセス2世に私淑したラメセス3世も、テーベ西岸のマディーナト・ハーブーに葬祭殿を造営しました。ラメセス2世にあやかってラメセウムと同じ構成が採られています。葬祭殿の周囲には、聖なる池、ナイロメーター、付属宮殿、倉庫群など数々の施設が置かれました。これらを日乾煉瓦の外周壁が囲み、1つの小都市を形成していました。
ラメセス3世の治世下で起こった数々の出来事は、葬祭殿の壁面に浮彫り装飾として記録されました。「海の民との戦い」「リビア人との戦い」「野牛狩り」(図版11)など、王の勇猛さを讃える主題が選ばれました。また床や階段の踏面には、捕虜の姿をしたエジプト周辺の異民族が描かれました(図版12)。捕虜図のタイルを踏みしめる行為を通して、王自らがエジプトの支配力を体現していたものと思われます。
墳墓建築と世俗建築
国王を弔う「王家の谷」に対して、そこから南西約1.5km離れた場所にある「王妃の谷」は、王妃や王子、王女を葬る地でした。王妃の谷の岩窟墓は、有軸的に部屋を並べる点で王家の谷のそれと似ていますが、全体的に規模が小さく部屋数も少ないのが特徴です。
私人墓については、テーベで岩窟墓が多く見つかっているほか、メンフィスでは神殿型墳墓というのも造られていました。岩窟墓は入り口を入ると横長の部屋があり、その奥に縦長の部屋が接続する構成になっていました。ラメセス期におけるテーベの私人墓は、岩盤をT字に掘り抜いたこの形でほぼ定型化されていたようです。
王が実際に居住する場所は、王墓や葬祭殿とは別に用意されていました。現存する王宮都市にマルカタとテル・アル=アマールナがあります。どちらも第18王朝後期に属する遺構で、マルカタはアメンへテプ3世が、アマールナはアメンヘテプ4世(アクエンアテン)が建造しました。王宮の周りには行政施設、宗教施設、娯楽施設などが立ち並び、重要な建物には多様な装飾が施されていました。
アマールナ王宮の南と北には、庶民が暮らす多数の独立住居が残されていました。貧富の度合いによって住居の規模に差があったようです。他方、長屋のような集合住居が都市部から離れた丘の上で見つかっています。ここには墳墓建造のために動員された画工、彫工、石工などが住んでいたと見られています。
アマールナ美術以降の浮彫り表現
アメンヘテプ4世が行った宗教改革はエジプト史の画期となりました。発端は勢いを増すカルナクのアメン神官団への対抗策であり、アメンヘテプ3世の代から、エジプト北部のメンフィスやヘリオポリスの宗教勢力を優遇したりしていました。アメンヘテプ4世は父王の遺志を引き継ぎ、より急進的な政策に舵を切ります。太陽神アテンを唯一神と定め、都もテーベからテル・アル=アマールナに移しました。アメンヘテプ4世の治世に花開いた「アマールナ美術」は、後頭部や腹部を強調した人物像や自然なポージングなど、まったく新しい独自性を有していました。しかしアテン信仰は一代限りで終わり、トゥトアンクアメン王からアメン信仰に回帰します。この時テル・アル=アマールナからメンフィスに遷都していますが、アマールナ美術の担い手であった工人集団もメンフィスに移ったとみなされています。
アマールナ美術の余韻はしばらく残り、人物像のプロポーションを決定的に変えましたが、アマールナ様式の名残りを良しせず、それ以前の表現に範を求める動きもありました。サッカーラにあるホルエムヘブ王の墓浮彫り(図版14)や、アビュドスにあるセティ1世の葬祭殿の浮彫り(図版15)を見てみましょう。これらの壁画に見られる毛髪や衣装の精緻な表現は、アマールナ時代以前、アメンへテプ3世治世下の大型私人墓の浮彫り装飾(図版16)を参考にしたと考えられます。
テーベの墓浮彫り(図版17)からも、ホルエムヘブがアマールナ様式を一掃し、従来の様式への回帰しようとしていることが読み取れます。ホルエムヘブの後継者であるラメセス1世は、先王の壁画表現を踏襲した作品を残しました(図版18)。
彩色壁画の変化
新王国時代後期の彩色壁画は、構成要素、主題、表現のどれにおいても刷新がありました。まず壁画の構成要素についてですが、
- フリーズ=壁面上部に繰り返し表される装飾
- 主題部=具体的な図像が描かれる
- ボーダー
- 壁面下部の装飾帯
を区別して理解していくとよいでしょう。一般的なフリーズのパターンは植物の穂先を束ねたような「ケケル」の形をしていますが、第19王朝になると先の尖ったケケルや円盤を載せたケケルが描かれるようになりました。主題部の上下左右を囲む「ブロック・ボーダー」もよく出てくるのでおさえておきましょう。
センネジェムの墓やパシェドゥの墓は、天井が丸みのあるアーチ型になっているのが特徴です。これによりあたかも棺の内側のような空間が生まれています。アーチ天井はフリーズやボーダーを描き入れる余地がないため、それらは次第に描かれなくなりました。
描かれる主題の変化としては、第18王朝の王墓に見られた天井の星々が、具体的な星座・天体図として表されるようになりました。セティ1世の玄室の天井において、個々の星は赤い点で描かれており、中央上段の雄牛と横向きの人物は北斗七星を表しています。来世や永遠を信じる古代エジプト人は、北極星を中心とした沈まない星々を重視していました。
また「冥界の書」の一部で、太陽の復活に関する主題もよく描かれました。ラメセス6世の墓の玄室は、天空の女神ヌトが背中合わせになる形で天井を二分割し、右側に「昼の書」、左側に「夜の書」を展開しています。「昼の書」では朝女神から生み出された太陽が西方を航行し西に没するまでを描き、「夜の書」では女神に飲み込まれた太陽が東へ進み再び生み出されるまでを描いています。壁面には同じく太陽の復活を扱う「門の書」「アケルの書」が表されています。
自由な絵画表現
ラメセス時代の絵画は、伝統を保ちつつ新しい要素が取り入れられました。まずはラメセス2世の王妃ネフェルトイリ(ネフェルタリ)の墓壁画を見てみましょう。王妃の顔や腕に陰影が入っていたり、腕のプリーツ部分の透け感を表現したりしています。このような立体感の表現は、奥行のない平面的描写を特徴とする古代エジプト絵画としては珍しいものです。
女神イシス=女神ハトホル?
神話によれば、イシスは夫であるオシリス神を復活させ、国土の豊穣を呼び戻したとされています。死者を守る4人の守護女神の一人でもあり、頭に玉座を載せた女性像として表されました。一方ハトホルは「天空の女神」「諸神の母」「死者の守護神」等の性格を持ち合わせており、頭に太陽円盤と2本の牝牛の角を載せた姿で表現されました。2神の属性が似通っていることから、新王国時代にはイシスとハトホルが同一視され、イシスであってもハトホルの姿で描かれるようになりました。 
ラメセス朝の王墓造営に携わったイリネフェルは、自身の墓を宗教的な壁画で満たしました。ディール・アル=マディーナにあるイリネフェルの墓は、地上の礼拝室地下の埋葬室に分かれており、壁画は埋葬室に残されています。イリネフェルの魂が人頭の鳥の姿となって自由に飛び回る様子を描いた図版29は、黄土色の背景に自由な色彩で描かれています。古代エジプトでは、死者の魂「バー」が埋葬室からシャフト(竪坑)を通って外界(現世)に出ていくものと信じられていました。
インヘルカーウも王墓造営の任にあたった人物で、アケル神を礼拝する自身の姿を墓に残しました。初期は狩猟の対象だったライオンですが、次第に王の権力の象徴として解釈されるようになりました。この壁画では線のかすれを活かしてライオンの毛皮を表しています。
新王国時代以降に作られた葬送用の章句集を「死者の書」と言います。パピルスに呪文とその場面を表す絵画が描かれ、比較的裕福な貴族の埋葬時に遺体の側に置かれました。王家の書記だったフネフェルの墓に納められていた図版31は、「死者の書」第125章に相当する「最後の審判」の場面です。この伝承は死者が来世を生きるにふさわしい人物かオシリス神が裁定するというもので、死者の心臓(=現世での行い)と駝鳥の羽(=真実の象徴)を天秤にかけ、重さが釣り合えば来世に行くことが許されました。保存状態が良く、簡明な色彩が美しい本作ですが、なかでも白色の鮮やかさは特筆すべきものがあります。
当時の画工たちは、イメージを書きとめたり本番前に下絵を描いたりするのに、オストラコンという石片を利用していました。スケッチや習作であるばかりか、熟練者が後輩に描法を教えるツールでもあったようです。オストラコンはディール・アル=マディーナで多数出土しています。図版32は躍動感にあふれる踊り子の姿を軽妙かつ繊細な筆遣いで表現しています。
これまで見てきた絵画はもっぱら「葬送用」であり、伝統に則った硬い描写を特徴としていました。しかしこの時代になると、図版33のような遊び心のある戯画も生み出されました。人間を動物に見立てた風刺画が、生き生きとした線で表されています。肉食動物と草食動物、大型動物と小型動物というように、強者と弱者を組み合わせているあたり古代人のユーモアを感じます。こうした戯画は、教訓や物語を語り伝える際の絵解きに使われたものと思われます。
工芸
古代エジプトの工芸品はアメンへテプ3世時代に絶頂期を迎えますが、第19王朝以降に製作された品々は華やかではあるものの繊細さに欠け、やや無骨で粗雑な印象を受けます。対外的な軍事遠征に注力し、ラメセス2世のもとで建造物や彫像の大型化・大量生産が進んでいた時代に、質や細かい点での完成度が追求されることはありませんでした。
王族の装身具の出土例は少ないですが、テル・バスタ出土のラメセス2世のブレスレットを紹介しておきます。大ぶりなラピスラズリが鴨の胴部として嵌め込まれていますが、トゥトアンクアメン時代の繊細優美な象嵌は失われています。しかし台座にあたる金細工の細かな装飾は注目に値します。金の小さな粒と捻った針金を本体に"はんだ付け"したもので、これには同じサイズの金粒を作る技術、それを規則的に配置して留めつける技術が求められました。
第18王朝から本格的に始まったガラス製作ですが、第20王朝末期以降は著しく衰退してしまいます。他方、建造物の装飾等に多色ファイアンスを用いるケースが増えていきます。小さな装飾部品としての使い道から一転、図版12のような大きめのタイルも製作されるなど、建物の装飾におけるファイアンスの存在感は大きくなっていきました。
当時の金属容器はテル・バスタからまとまって出土しています。中でもユニークなのは円筒状の頸部を持つ壺形容器です。図版35は全体として銀製ですが、口縁部とヤギを象った把手には金が使われています。ヤギの後ろ足を境に、上部では文字や図柄の彫刻が、下部では立体感のある打ち出し文様が施されています。
図版26は第19王朝時代にさらなる普及を遂げた多色彩文土器の作例です。多色彩文土器は葬祭用に製作されるものであり、儀礼や祭祀の時に容器にかけたとされる花輪がモチーフとして描き込まれています。「アンフォラ」と呼ばれる独特の器形をしており、長い頸部、やや丸みを帯びた胴部、両側の把手がポイントになっています。アンフォラはシリア=パレスチナの発祥で、エジプトでは中王国時代から作られていましたが、新王国時代に広く生産されるようになりました。
作品データ
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.431
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.432
- アメン大神殿浮彫り, ラメセス9世像とアメンヘテプ 新王国 第20王朝 前1110年頃 砂岩 漆喰 彩色 テーベ, カルナク
- セティ1世の葬祭殿 新王国 第19王朝 前1300年頃 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- セティ1世の葬祭殿 新王国 第19王朝 前1300年頃 アビュドス
- ラメセス2世の葬祭殿(ラメセウム) , 第2塔門 新王国 第19王朝 前1230年頃 テーベ
- アブー・シンベル大神殿 新王国 第19王朝 前1250年頃 アブー・シンベル
- アブー・シンベル小神殿 新王国 第19王朝 前1250年頃 アブー・シンベル https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Temple_of_Hathor_and_Nefertari,_Abu_Simbel,_AG,_EGY_(48016916247).jpg
- ルクソール神殿, ラメセス2世の中庭と第2塔門 新王国 第19王朝 前1250年頃 テーベ, ルクソール
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.435
- ラメセス3世の葬祭殿, 第1塔門浮彫り, 王の野牛狩り 新王国 第20王朝 前1160年頃 テーベ, マディーナト・ハーブー
- 捕虜図のタイル 新王国 第20王朝 前1160年頃 テーベ, マディーナト・ハーブー, ラメセス3世の葬祭殿出土 ファイアンス 彩釉 高さ26.0cm カイロ, エジプト博物館
- アメンヘテプ4世(アクエンアテン)とネフェルトイティ王妃 新王国 第18王朝 前1360年頃 テル・アル=アマールナ出土 石灰岩 浮彫り 彩色 高さ24.0cm ベルリン, 国立エジプト博物館
- ホルエムヘブの墓浮彫り, エジプトの廷臣たち 新王国 第18王朝 前1350年頃 石灰岩 漆喰 彩色 サッカーラ
- セティ1世の葬祭殿浮彫り, マアト女神とレンペト女神 新王国 第19王朝 前1300年頃 石灰岩 漆喰 彩色 アビュドス
- ラーメスの墓浮彫り, ラーメス 新王国 第18王朝 前1370年頃 石灰岩 彩色 テーベ, シャイク・アブド・アル=クルナ
- ホルエムヘブ王の墓浮彫り, 神々と対峙するホルエムヘブ王 新王国 第18王朝 前1320年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- ラメセス1世の墓壁画, 神々に導かれるラメセス1世 新王国 第19王朝 前1310年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.283
- トトメス4世の墓壁画, ハトホル女神とトトメス4世 新王国 第18王朝 前1440年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- ラメセス1世の墓壁画, 神々に導かれるラメセス1世(部分) 新王国 第19王朝 前1310年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- ホルエムヘブ王の墓浮彫り, 神々と対峙するホルエムヘブ王(部分) 新王国 第18王朝 前1320年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- センネジェムの墓, 埋葬室 新王国 第19王朝 前1250年頃 漆喰 彩色 テーベ, ディール・アル=マディーナ
- パシェドゥの墓, 埋葬室 新王国 第19王朝 前1250年頃 漆喰 彩色 テーベ, ディール・アル=マディーナ
- セティ1世の墓と壁画 新王国 第19王朝 前1300年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- ラメセス6世の墓と壁画 新王国 第20王朝 前1130年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王家の谷
- ネフェルトイリ王妃の墓と壁画, ネフェルトイリ王妃 新王国 第19王朝 前1250年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王妃の谷
- ネフェルトイリ王妃の墓と壁画, イシス女神 新王国 第19王朝 前1250年頃 漆喰 彩色 テーベ, 王妃の谷
- イリネフェルの墓壁画, バーと影 新王国 第20王朝 前1170年頃 漆喰 彩色 テーベ, ディール・アル=マディーナ
- インヘルカーウの墓壁画, インヘルカーウとアケル神 新王国 第20王朝 前1150年頃 漆喰 彩色 テーベ, ディール・アル=マディーナ
- フネフェルのパピルス 新王国 第19王朝 前1250年頃 メンフィス出土 建て39.5cm ロンドン, 大英博物館
- 踊り子のオストラコン 新王国 第18王朝 前1330年頃 石灰岩 彩色 左右16.8cm イタリア, トリーノ, エジプト博物館
- 風刺画のパピルス 新王国 第19王朝 前1200年頃 テーベ, ルクソール出土 9.0×55.0cm ロンドン, 大英博物館
- ラメセス2世のブレスレット 新王国 第19王朝 前1250年頃 ブバスティル(テル・バスタ)出土 金 ラピスラズリ 径7.2cm カイロ, エジプト博物館
- 山羊形把手付き壺 新王国 第19王朝 前1250年頃 ブバスティル(テル・バスタ)出土 金 銀 高さ16.5cm カイロ, エジプト博物館
- 花文双耳壺 新王国 第19王朝 前1250年頃 テーベ, ディール・アル=マディーナ, センネジェムの墓出土 彩文土器 高さ33.2cm カイロ, エジプト博物館
参考文献
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994































