末期王朝以後の美術
第20王朝で新王国時代は終わりを迎え、上エジプトと下エジプトが分裂する混乱期に入ります。各地に王統が並立した第3中間期を経て、第25王朝のシャバカ王が全エジプトの再統一を成し遂げました。以後の末期王朝は、古典文化の復興を旗印に美術品が製作されました。しかしアッシリアやアケメネス朝ペルシアといった外敵の侵入に苦められ、最終的にはアレクサンドロス大王に征服されてしまいます。アレクサンドロス大王の没後、エジプトでプトレマイオス朝が興り、王朝時代の伝統的な美術様式が徐々に衰退していく一方で、写実を重んじるギリシア的な人物表現が取り入れるようになったのもこの頃です。また神殿建築においては、意匠を凝らした柱頭と壁面を埋め尽くす浮彫り装飾が目立つようになりました。プトレマイオス朝滅亡後のエジプトは、属州としてローマの支配下に入り、のちに東ローマ帝国領の一部となりました。
第3中間期 → 末期王朝時代 → プトレマイオス朝時代 → ローマ支配時代という流れを念頭においた上で、それぞれの時代の建築・絵画・彫刻・工芸を見ていきましょう。
第3中間期
ラメセス3世以後衰退の一途を辿っていた新王国ですが、ラメセス11世を最後に第20王朝は崩壊し、第21~24王朝にかけて不安定な時期が続きます。この第3中間期の建築活動は補修・増改築に主眼が置かれ、大建造物の造営や独特の建築様式が生み出されることはありませんでした。
第3中間期の美術品として重要なのが、第21王朝のプスセンネス1世の遺宝です。タニスにある王の墓から黄金のマスク、祭祀用の容器類、ネックレスなどの装飾品類が出土しました。これらの品々の完成度は高く、新王国時代の様式と技術水準を維持していたことがわかります。
プスセンネス1世の黄金のマスクは、打ち延ばした金の板を研磨して作られており、表面に施された細かな線刻が見どころです。王はネメス頭巾、ウラエウス、つけ髭を身につけた姿で表され、胸飾りとして12列のビーズ状模様、2列の葉模様、1列のパピルス模様が刻まれています。目と眉に象嵌された黒色ガラスはマスクに生気を吹き込んでいます。似たような作品にトゥトアンクアメンのマスクがありますが、そちらよりも優しげな雰囲気をたたえています。
図版5は第22王朝のオソルコン2世のペンダントに取り付けられた小像です。アビュドスの三柱神がモチーフで、父オシリス、母イシス、子ホルスを表現しています。エジプト古来の神話によれば、セトに殺されたオシリスの子を身ごもったイシスは、息子ホルスにセトへの復讐を託し、ホルスは見事それを成し遂げました。本作の特徴は金とラピスラズリを用いた精巧な細工にあります。縦長のプロポーション、スリムな胴回り、細い手足の表現はこの時代に特有のものです。胸から腹にかけて写実的に仕上げているところにも注目してください。同様の趣向はアメン神立像にも見られます(図版6)。
彫像表現に関してはカロママのブロンズ像も見ておく必要があります。カロママは第22王朝のオソルコン2世の孫娘です。細身の手足を持ち、身体の細やかなラインは金・銀・琥珀金の象嵌で描かれています。花模様の襟飾りに腰部の羽模様が美しく、全体として内省的な雰囲気のある作品です。
第21王朝は優れた彩色木棺が制作された時代です。テーベの神官デニトネトアメンの木棺の蓋は、一面に色鮮やかな絵が描かれています。上半身に羽模様の鬘や花模様の胸飾りを配し、下半身に死者の冥界における遍歴の場面を表しました。平面的な絵画に対して、立体的に彫り出された顔、鬘、手首のコントラストが印象深い作品です。同じくテーベの神官だったアメンエムオペトの木棺は、内部に装飾が施されました。黄土色の下地の上に極彩色で葬送の儀式場面を描き出しました。
末期王朝時代
ヌビアのクシュ王朝がテーベに進出したことで第25王朝が興ります。上エジプトを支配したピイ王に続き、弟のシャバカ王が全エジプトの統一を成し遂げました。芸術面においては、古い時代のエジプト文化に立ち戻ろうとする動きが見られました。
現存する第25王朝の建造物は、ヌビアよりの上エジプト地域に集中しています。しばしば広庭ー列柱室ー至聖所が有軸上に並ぶ構成をとりますが、これは新王国時代のプランを継承したものです。最も多くの記念物を残したのがタハルカ王で、サナムのアメン・ラー神殿やカワのアメン神殿を新築したり、ナパタのアメン神殿の増築を行ったりしました。
テーベに第25王朝の建造物が残っていないのは、のちにアッシリアの攻撃を受けてほとんど破壊されたからです。しかしタハルカ王治世に建てられたシェプエンウペトの礼拝堂は、小規模ながら良好な状態で発見されました。この建物の画期的なところはその天井形式にあります。古代エジプトでは水平天井、迫り出し積み天井、切り妻型天井、ヴォールト天井の4タイプが作られましたが、楔形をした要石を頂部に挿入する石造のヴォールト天井は、第25王朝になって初めて発明されました。
西南アジアで勢力を増すアッシリア人が、第25王朝に終わりを突きつけました。彼らはエジプトに侵入し、メンフィスからテーベまでを支配しました。テーベを拠点としていたクシュ王朝は、エジプトの統治を放棄してヌビアに後退しました。デルタ地方サイスの王侯がアッシリアの放逐に成功し、再びエジプト人による王朝が開かれました。
そんな第26王朝は、政治的には外敵(地中海や西アジアの諸民族)の影響にさらされつつも、芸術的には復古主義の傾向を強めていった時代と言えます。特にメンフィスの工人集団は古王国時代を手本とする美術活動を推し進めました。
復古的な傾向は共通しているものの、第25王朝と第26王朝とでは若干の違いがあることが指摘されています。簡潔に言えば、第25王朝は古王国に、第26王朝は新王国に多くを倣っていたという見方です。たとえば、第25王朝のメンチュエムハトの墓における塔門ー斜路ー墓室の配置は、ピラミッド時代の河岸神殿ー参道ー葬祭殿の並びと明らかに似ています。小部屋を多く付設した複雑なプランも、古いタイプの墳墓に見られる形式を踏襲したものです。逆に第26王朝の墳墓については、斜路を設けず明快な軸線上に部屋を配置するプランが新王国時代の神殿を彷彿とさせます。
彫像の分野では写実的な人体表現が進歩しました。図版11は、人間の身体にハヤブサの頭部を持つホルス神が、清めの儀式を行う様子をとらえたものです。スリムなプロポーションはこの時代の特徴で、筋肉のつき方に写実への意識が見られます。図版12のイシス女神座像は、女性的な柔らかい輪郭や表情が印象的な作品です。イシスは新王国時代以来、雌牛の角と太陽を戴くハトホル女神の姿で表されてきました。イシスに抱かれたハルポクラテス(少年時のホルス)の額には聖蛇ウラエウスが装飾されていますが、これは王家の正統なる出自をアピールする記号であったと考えられます。
第27王朝時代、アケメネス朝のカンビュセス2世による侵略を受け、エジプトはペルシアの支配下に置かれます(第1次ペルシア支配)。第28〜30王朝でペルシアの再度にわたる進出を阻止しようと試みてきましたが、結局ペルシア支配に屈することになりました。国土の窮乏で大規模な建設事業は減り、補修や改修が主となりますが、最後のエジプト人王朝となった第30王朝で有終の隆盛を誇りました。ルクソールの西、カルガ・オアシスに建てられたヒビスの神殿や、ネクタネボ1世が建立したカルナク・アメン大神殿第1塔門(未完成のまま放棄)が代表作にあたります。その後アケメネス朝ペルシアのアルタクセルクセス3世による征服(第2次ペルシア支配)、マケドニアのアレクサンドロス大王による征服を受けたことで、エジプト王朝の滅亡は決定的なものとなりました。
プトレマイオス朝時代
アレクサンドロス大王の死後、彼の広大な遺領をめぐる争いが起こりました。エジプトの支配権を得たアレクサンドロスの部下プトレマイオスは、かの地でギリシア系王朝を樹立しました。プトレマイオス朝の初期は、エジプト王朝時代の様式美に従った彫像や工芸品が作られましたが、その伝統も次第に衰退していき、代わりにギリシャ美術(ヘレニズム文化)の影響下で写実的な肉体表現が追求されるようになりました。
建築分野においても表面的には末期王朝期の形式が守られましたが、新機軸が打ち出されることはありませんでした。しかしながら、ユニークな形状の柱と壁面を隙間なく覆う浮彫りで飾られた巨大神殿を見逃すわけにいきません。ダンダーラのハトホル神殿、エドフのホルス神殿、エスナのクヌム神殿、コーム・オンボのセベク神とハロエリス神殿、フィラエのイシス神殿などは比較的保存状態が良好であり、この時代の神殿建築の特徴をよく伝えています。
ダンダーラのハトホル神殿の柱は、ハトホル女神の頭上に角形のナオス(祠堂)が載った形をしています。これはシストルムをという楽器を象ったものだと言われています。シストルムはしばしばハトホル女神に捧げられた道具で、悲しみや不安からの解放、あるいは歓喜を象徴するものでした。
古代エジプトの建築では植物の花や蕾、葉を模した柱頭がよく見られます。 新王国時代は柱頭がすぼんだ形(閉花式パピルス柱)でしたが、プトレマイオス期は柱頭がラッパのように開いた形(開花式パピルス柱)へと変わり、さまざまな植物が混合した複雑な外観になっていきました。それだけでなく、この複合式柱頭は隣同士で別のデザインになるように配置されましたが、同時に神殿の中心軸を基準に左右対称になるように設計されました。
フィラエのイシス神殿は、誕生殿を囲む列柱に複合式柱頭とハトホル柱がデザインされています。末期王朝以後、神殿の近くに誕生殿(マンミシ)が建てられるようになりました。父母子の三柱神のうち、母親役の神が子供をそこで産み育てたとみなされる建物で、長方形平面の外周に柱をめぐらせるプランが採用されました。
凝った意匠の柱頭に加えて、壁面を埋め尽くす浮彫りもプトレマイオス朝時代の神殿を見る時のポイントになります。エスナのクヌム神殿は、細かな彫刻が壁面や柱身を覆い尽くすように刻まれています。
図版20はエドフのホルス神殿を飾る浮彫りです。上エジプト王権の守護神ネクベト(右)と下エジプト王権の守護神ウアジェト(左)がプトレマイオス5世(中央)を祝福している様子を描いています。ここで注目してほしいのが女神の身体表現です。エジプト王朝時代は、人物の上半身は正面向き、頭部と下半身は横向きで描く規範が守られていました。しかしこの浮彫りは女神を真横から見た姿でとらえています。また胸や臀部の女性らしいラインが強調されるなど、肉感的な人体表現へと傾いています。さらにアマールナ時代だけに見られた、5本の足の指を表す描法が復活しています。神と王の周囲にもヒエログリフが空白を埋めるようにびっしりと刻まれています。
コーム・オンボの神殿はセベク神とハロエリス神の2神を祀っています。図版21はそんな神殿の趣旨をよく表しています。プトレマイオス5世のカルトゥーシュを挟んで向かい合うセベク神とハロエリス神が、左右対称の安定した構図で描かれました。図版22のように神や王の図像やヒエログリフによるテキストで空間を覆い尽くす描き方は、余白を恐れているようだと形容されることがあります。一説によると、この空間恐怖の表現は、古代エジプトの信仰、すなわち「スペースを空けておくとそこに悪魔が宿り、被葬者に災いをもたらす」という考えの現れなのだそうです。
ローマ支配時代
クレオパトラ7世の自殺でプトレマイオス朝は滅亡へと追い込まれ、エジプトはローマの属州と化しキリスト教支配が始まりました。国土の貧困化で新築の神殿は質・量ともに減ったものの、トラヤヌス帝のキオスクは小規模ながらも優美な雰囲気をたたえた秀作です。複合式柱頭が採用されており、ここでも中心軸を基準に左右対称の配置となっています。
図版24はこの時代によく作られたミイラ型の木棺です。胸部には被葬者アルテミドロスの名が記されています。胴部の金箔の装飾にエジプト王朝時代の伝統を感じます。何より興味深いのは、顔面に被葬者の肖像画が嵌め込まれていることです。木の板に描かれた蝋画あるいはテンペラ画で、写実的な描写や色彩を特徴としています。このタイプの木棺は、ファイユームのギリシア人植民者の墓地から多数出土しています(ファイユーム肖像画)。アレクサンドロス大王の征服以来、エジプトではギリシア・ローマの植民市が建設されてきました。肖像画を伴う棺は、そうした植民者やエジプト人と同化していった外来の人々の間で好まれたものだったようです。
作品データ
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.431
- プスセンネス1世の遺宝, 黄金のマスク 第3中間期 第21王朝 前1050年頃 タニス(サーン・アル=ハジャル), プスセンネス1世の墓出土 金 高さ28.0cm カイロ, エジプト博物館
- プスセンネス1世の遺宝, 黄金のネックレス 第3中間期 第21王朝 前1050年頃 タニス(サーン・アル=ハジャル), プスセンネス1世の墓出土 金 ラピスラズリ 長さ64.5cm カイロ, エジプト博物館
- プスセンネス1世の遺宝, 祭儀用容器 第3中間期 第21王朝 前1050年頃 タニス(サーン・アル=ハジャル), プスセンネス1世の墓出土 金 銀 高さ(右)20.0cm (左)3.6cm カイロ, エジプト博物館
- オソルコン2世の三柱神像ペンダント・トップ 第3中間期 第22王朝 前920年頃 金 ラピスラズリ 青色ガラス 高さ9.0cm パリ, ルーヴル美術館
- アメン神立像 第3中間期 第22王朝 前920年頃 金 高さ17.5cm ニューヨーク, メトロポリタン美術館
- カロママ立像 第3中間期 第22王朝 前900年頃 テーベ, カルナク, アメン大神殿出土 ブロンズ 金 銀ほか 高さ59.0cm パリ, ルーヴル美術館
- デニトネトアメンの棺 第3中間期 第21王朝 前1000年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー出土 木 彩色 長さ188cm ロンドン, 大英博物館
- アメンエムオペトの棺内部 第3中間期 第21王朝 前1000年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー出土 木 彩色 長さ210cm ロンドン, 大英博物館
- 上空から見たメンチュエムハトの墓 末期王朝 第25王朝 前670年頃 テーベ, ディール・アル=バハリー
- ホルス神立像 末期王朝 第26王朝 前600年頃 ブロンズ 高さ96.0cm パリ, ルーヴル美術館
- ハルポクラテスを抱くイシス女神座像 末期王朝 第26王朝 前600年頃 ブロンズ パリ, ルーヴル美術館
- 女性立像 プトレマイオス期 前3~1世紀頃 玄武岩 パリ, ルーヴル美術館
- 女性立像 プトレマイオス期 前3~1世紀頃 アレクサンドリア付近出土 石灰岩 高さ50.0cm アレクサンドリア, グレコ・ローマン博物館
- ハトホル神殿, 第1列柱室 ローマ支配時代 後1~2世紀頃 ダンダーラ
- セベク神とハロエリス神殿, 第1列柱室天井 プトレマイオス期 前3世紀末 コーム・オンボ
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994 p.434
- イシス神殿, 誕生殿列柱 プトレマイオス期~ローマ支配時代 前2~後1世紀頃 フィラエ
- クヌム神殿, 列柱室 プトレマイオス期~ローマ支配時代 前2~後2世紀頃 エスナ
- ホルス神殿浮彫り, プトレマイオス5世と神々 プトレマイオス期 前2世紀頃 砂岩 エドフ
- セベク神とハロエリス神殿浮彫り, 梁浮彫り, セベク神とハロエリス神 プトレマイオス期 前2世紀頃 砂岩 コーム・オンボ
- セベク神とハロエリス神殿浮彫り, 第1列柱室浮彫り, セベク神とプトレマイオス5世 プトレマイオス期 前2世紀頃 砂岩 コーム・オンボ
- トラヤヌス帝のキオスク(祠堂) ローマ支配時代 後2世紀頃 フィラエ
- アルテミドロスの棺 ローマ支配時代 後2世紀初め 木 彩色 長さ167cm ロンドン, 大英博物館
- 若い女性のミイラ肖像画 ローマ支配時代 後2世紀頃 ファイユーム出土 木 蜜蝋画 高さ43.5cm ベルリン, 国立エジプト博物館 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mummy_portrait_of_a_woman_from_er-Rubayat_-_Berlin_AS_31161-7_(01).jpg
- https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ancient_Egypt_early_Roman_period_Mummy_portraits_from_Faiyum_Egypt.jpg
参考文献
- 青柳正規, 大貫良夫(編)『世界美術大全集 西洋編 第2巻 エジプト美術』小学館 1994























